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2005/03/27

豊雲記念館、春期一般公開です

お花の教室の積極的な展開よく名前を見る
未生流など華道さまざまあれど、華道の本家中の
本家、池坊から正式に分派として認められているのは、
勅使河原家の草月流と、小原家の小原流のみ。

その小原流の本家は、実は神戸にあります。
阪急御影駅、深田池のほとりを山手に行ったところ
に、家元のご自宅、本部、そして三代目小原豊雲が
集めた中南米アンデスの染織品、土器、東南アジア
の仮面や工芸品、影絵人形などの民俗資料などの
世界屈指のコレクションを収蔵する、旧小原流芸術
参考館が豊雲記念館として、春秋に一般公開されて
います。

直接華道には関係ないコレクションなのですが、
草月流、小原流とも戦後の一時期に現代芸術、
前衛芸術との交流が深く、そのための研究素材と
して、参考として、フォークロア芸術は非常に大きな
意味をもっていたようです。
そのコレクションの質量は、民博にも負けないほど。


豊雲記念館 春期一般公開」
【開催日】2005年3月26日(土)~4月10日(日)
【開催場所】豊雲記念館
       神戸市東灘区住吉山手4-12-70
【開催時間】午前10時~午後4時00分
       (入館は午後3時30分まで)
【休館日】会期中無給
【料金】一般:300円
    中学生以下、無料
【アクセス】阪急神戸線御影駅から徒歩5分

4月10日までと、期限が迫っていますが、1枚で
3名までご利用になれるご招待券が入手できた
ので、本Blogをごらんになった方にプレゼントします。
コメント欄に招待券くれ~と記入して、アドレスも
登録してくださいな。
先着順にメールで連絡を取って、郵送いたします。

ところで、現在の小原流の家元は、小原宏貴くん。、
弱冠17歳。父である四世夏樹氏、祖父である三世
豊雲氏が相次いで亡くなり、わずか六歳の時に、
五世家元となったそうだ。

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コメント

そういえば昔小原流、習ってました。
ちなみに叔母は草月流師範です。

近場なので観に行きたいですね。
招待券希望します。

投稿: 六甲ノコ | 2005/03/29 22:01

前からずっと行きたかったのですが、2週間というタイミングを逃して行けませんでした。
今回は都合がつきそうなので、もしまだ招待券がございましたら1枚いただけませんでしょうか。

投稿: うら | 2005/03/30 12:53

今週末に間に合いますように、コメントを
頂きました六甲ノコ様、うら様に2枚ずつ
招待券をお送りいたします。

これにて、締め切り!
ご容赦をば。

投稿: 六甲びと | 2005/03/31 00:49

六甲びと様

豊雲記念館・春期一般公開の招待券、本日確かに受け取りました、有難うございます。早速観に行かせてもらいます。

他のイヴェント、展示会、スポーツ観戦、お時食事券・・・何でもいいですから、招待券あればまたプレゼントお願いしま~~す!

投稿: 六甲ノコ | 2005/04/02 00:23

観てきました!

大変貴重なコレクションですね。でもインドネシアの仮面とか、アンデスの墓から掘り出したものとか、結構スゴイものばかりでした。あそこに、1人きりで取り残されたら…おー怖ァ。

ついでに、高杉でケーキとお茶をいただいて帰りました。(相変わらず混んでました)どうもありがとうございます。

投稿: 六甲ノコ | 2005/04/05 01:26

六甲ノコさん、招待券を有効に活用いただいた
ようで、良かったです(^-^)

で、帰りは高杉に行かれましたか。
本Blogで紹介した、紅茶の美味しい喫茶店
「ガウ・ハーティ」も良いですよ。

投稿: 六甲びと | 2005/04/06 21:09

今度は六甲びとさんご推薦の、ガウ・ハーティに行ってみます。

近場だと、かえって外食(飲)することはホント少ないのですよね。去年うっかりキーを忘れ外出し、そういう時に限り家族の帰宅が午前さま。

空腹に耐えかねて、しかたなく水○△商店街ウロついてみたら、あるある深夜営業の飲食店が数件!灯台下暗しとはこのことね。

神戸は全体的に、まともなもの食べさす飲食店が閉まるの早すぎ。サッカー観戦の後いつも苦労します。

投稿: 六甲ノコ | 2005/04/06 23:13

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» 池坊VS小原流 [ライバルVSライバル]
どうして、「池坊」は「池坊流」っていわないの? 「お茶」(茶道)と並ぶ花嫁修業の必須科目「お花」(華道)が、ひとつの「道」として確立されたのは、「床の間」が定着した室町時代。 京都の六角道法項寺の僧侶・池坊専慶が、華道の本家本流である「池坊」の祖とされる。 江戸中期に「茶の湯」が流行すると、より自由な形式の「なげいれ花」が登場。池坊の独壇場だった華道の世界に様々な流派が生まれ、「家元制度」による組織化が確立していった。 明治時代には、西洋から入ってきた草花を取り入れ、洋風の...... [続きを読む]

受信: 2007/06/11 18:27

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