「京都ブランド」シンポジウム
こんなシンポジウムがあるらしい。
■「京都ブランド」創生シンポジウム
~輝き続ける京都ブランドを目指して!~
主催:京都工芸繊維大学・京都商工会議所
【案内文】
京都商工会議所が取り組む「京都ブランド推進事業」の
一環として、平成17年4月から京都工芸繊維大学との
共催により「京都ブランド」創生講義(公開講座)を開設
することとなりました。
講座開始に先立ち「京都ブランド」創生シンポジウムを
開催します。
【日時】3月15日(火) 15:00~17:00
【会場】京都工芸繊維大学 センターホール
【プログラム】
<基調講演>
「『京都ブランド』創生の新時代」
◆松岡正剛氏(編集工学研究所 所長)
<パネルディスカッション>
「『京都ブランド』さらに強く」
パネリスト
◆細見吉郎氏(宝ホールディングス[株] 代表取締役会長)
◆池坊由紀氏(華道家元池坊 次期家元)
◆小林 洋氏(オムロンヘルスケア[株] 執行役員)
コーディネータ
◆久保雅義氏(京都工芸繊維大学 教授)
<交流会>17時~
※1時間程度。参加希望の方は申込時にお申し出ください。
【参加費】1,000円(当日会場にてお支払いください。)
【申込・問い合わせ】京都工芸繊維大学 デザイン経営工学科(担当:久保)
TEL/FAX:075-724-7854
Eメール:kuboken@kit.jp
うむ、ちょっと仕事にも関係するかもしれないので、できれば覗いてみよ
うかな、と思う。
ただ、最近の「京都ブランド」という言い方は、少し気になる。
その本来の価値を生み出した源泉は、決して「京都」というくくりで
括れるほど、共通点を持ったものではないものを、たまたま今現在、
京都という土地に在するだけで「京都」という冠をつけてしまうのは、
少し違和感を持つ。
例えば、パネリストとして並んでいる宝酒造と池坊。
宝酒造の伏見という町は、本来的な意味で、けっして京都ではない。
歴史的に見て京から独立した町であり、池坊のある洛中とは、その文化
やコミュニティを共有している訳ではない。
たまたま、いま、京都市と言う行政区域にあるからといって、同じ「京
都ブランド」という冠をかぶせることは、平成の大合併の結果、「出石
そば」を「豊岡そば」と言い換えて、「豊岡ブランド」という冠をかぶ
せるのと一緒だ。
あ、少しわかりにくいか。
「清水の次郎長」や「清水のマグロ」を「静岡の次郎長」「静岡マグロ」
と言い換えて、「静岡ブランド」の冠をかぶせるのと一緒じゃないか。
それは、リアリティが無いと思うのだが。
京都にあるさまざまな文化的資源を、いかにブランド化するか、という
表現なら100%理解するんだけど。
ちょっと「京都」という言葉に拘りすぎだろうか。
↑もし、このBlogを気に入っていただけたら
クリックお願いします。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
わたしも、この意見(伏見を京都ブランドというのか、おかしい)に、全面的に賛成です。
とはいえ、いま勤めている京都市山科区にある大学はかつて、橘女子大学と言っていたのを、京都橘女子大学と言い換えて、少し調子がよかった時期があったといわれています(その当時は、大学関係者ではなかったので、存在すら知らなかったのですが)。でも、山科は山科。京都といわれてきた学生たちは、まず「だまされた」と思ったに違いない。いまは、山科という京都でありながら非ブランド(あるいは反ブランド)を前に出した企画をしています。
おっと、宣伝しちゃいましたね。トラックバック、ありがとうございました。http://kogurearts.exblog.jp/
投稿: 小暮宣雄 | 2005/03/05 05:21
TBありがとうございました。
返信、おそくなっちゃいました。
厳密に考えてみれば、京都と言えるのは「旧市内」だけという話もありますが・・・
今度京北町も「京都」になりますよね。
それに「京田辺市」「京丹後市」も出来ましたよね。「京丹波町」?なんてのも出来るようです。気がつけばあちこち「京」「京都」だらけです。
>京都にあるさまざまな文化的資源を、いかにブランド化するか、という
>表現なら100%理解するんだけど。
そうですね。「京都ブランド」に頼るのではなく、「東京」という面のなかに新宿、渋谷、浅草という点のブランドがまたあるように、「伏見ブランド」「山科ブランド」を構築していく、というのが目指すべき方向のような気がします。
投稿: machigacha わだ | 2005/03/09 07:02
うわ、小暮先生からコメントをいただけるなんて、
恐縮です。ありがとうございます。
machigachaわだサンも、コメントありがとう
ごさいます。
>「伏見ブランド」「山科ブランド」を構築していく、
>というのが目指すべき方向のような気がします。
これは、その通りなんですよね。
偽りの冠を掲げるんではなく、
まさしく自らのアイデンティティを大事にすべきで、
素の自分を素直に見つめるべきだと思います。
そういえば、「東京」ディズニーランドって、
最低の偽りの冠ですねぇ。
投稿: 六甲びと | 2005/03/10 00:57