野村総研について、続報~メディア・リテラシー
野村総研の「テレビ広告の損失540億円」発表について
のエントリーに、補足をしておきます。
繰り返して書きますが、
いちおう広告関連業界で働く私としても、別に今の構造
のままで良いと言っているわけではありません。
また、業界人として、絶対にこの既得権益を守ろうと、
思っている訳でもありません。
(もちろん、たかだか一社員レベルがそんな力もない)
現在の広告ビジネスは、もちろん大きな構造上の問題を
かかえています。
また、広告ビジネスの大いなる構成要素であるメディア
に、比較的近い将来に(いや、指摘されているように、
今既に)大きな変化があることは間違いない。
よって、既得権益を守るというしろむきな話ではなく、
その胎動に先行して前向きに能動的に働きかけていくと
いう姿勢が、広告業界全体に求めらる。
関連業界で働くひとりとして、その改めてのきっかけと
しようと思う。
しかし、やはりこのニュースリリース、及びそれに対す
る報道は、かなり劣悪、質が悪いものである。
特に問題なのは、報道するメディア側の問題。
企業が出すプレス・リリース及びそれにともなう記者発
表というものは、企業が何らかの意図目的を達成させる
ために出したり、行ったりしている訳だ。
よって、そこには自分たちにとって都合の良いような文
脈によって語らせたり、広告のヘッドコピーにような惹
句があったり、ということは当然ある。
また、その中に根拠として提示されている各種データや
資料なども、客観性が欠けていたり、ロジックが全体と
して間違っていることもある。
そうした点をきちんと分析確認し、客観的な評価などを
加えて記事にするのが、本来あるべき報道機関の役割な
のではないか。
しかし、現実には、どうもそんなことをしていないよう
に感じることが多い。
特に、政府系機関、公的機関の発表についての垂れ流し
と言ったら、かなりひどいものである。
もちろん、情報を受け取るオーディエンス側にとって、
その「メディア・リテラシーは大事であるのは当然。
しかし、これだけ世の中に影響の大きなマスメディア側
にこそ、自分たちが発信する情報のソースを解釈する際
に、メディア・リテラシーが問われるのではないか。
Over40カザリヤ・ジャーナルさんのエントリーで、
内田樹先生の研究室でのエントリーを紹介されていま
すが、まさしく
自分が伝えつつある情報の信頼性について、重要性について、適所性について、きちんと評価が下せるかどうか。ということです。
自分が伝える情報は真実か?それは伝えるだけの価値のあることか?それはいつどのような文脈の中で差し出されることで聴き手にとってもっとも有用なものになるか?
そういう問いをつねに自分自身に差し向けられること、それが情報評価能力ということではないかと私には思われます。
スペースを埋めることに汲々として、リリースをこれ幸
いとそのまんま垂れ流す、そういう姿がどうも浮かんで
しまいます。
<本文以外のTB先>
ニセモノの良心さんが、
メディア側のメディア・リテラシーのなさを、「旧日本
兵生存」報道についてつっこんでおいでです。
さらに、自称「メディア芸術家」ジョイ・スカッグス氏
に関する記事を紹介してくれています。
テサラックのあいだサンも、「見出しの力」というこ
とで、あまりにも単純化する報道に疑問を呈して
おいでです。
↑もし、このBlogを気に入っていただけたら
クリックお願いします。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント