「1リットルの涙」から、「電池が切れるまで」を思い出しました。
関西テレビ/フジテレビ系のドラマ「1リットルの涙」。
「電池が切れるまで」を思い出した。
いずれも、私みたいなええ年したおっさんからみたら、ほんと子ども
に過ぎない人たち。
しかし、それが闘病-それも過酷な-という経験を経て、一日一日
生きることの重さ、大切さを感じながら、密度の濃い命を生きるコトを
余儀なくされている。
しかも、それを、平易で簡潔ながらも、深い言葉でつづっている。
これを読むと、ほんとにオレはもったいなく日々をすごしてきていたな、
と思わされる。
多くの方がご存知だと思いますが、「電池が切れるまで」のタイトルの
由来ともなった代表的な詩を引用させていただきます。
命 宮越由貴奈(小学4年)命はとても大切だ
人間が生きるための電池みたいだ
でも電池はいつか切れる
命もいつかはなくなる
電池はすぐにとりかえられるけど
命はそう簡単にはとりかえられない
何年も何年も
月日がたってやっと
神様から与えられるものだ
命がないと人間は生きられない
でも
「命なんかいらない。」
と言って
命をむだにする人もいる
まだたくさん命がつかえるのに
そんな人を見ると悲しくなる
命は休むことなく働いているのに
だから 私は命が疲れたと言うまで
せいいっぱい生きよう
いかがでしょうか、
ひとこと、すごいとしか言いようのない詩です。
これを書いたのが、小学校4年生です……(号泣)。
昨年、テレビ朝日系列で、ドラマ化もされていましたね。
そして、スタッフ、キャストにも共通の人たちが。
脚本家、江頭美智留。
「電池~」では信州子ども病院の医師・末永誠一役の陣内孝則が
「1リットル~」ではお父さん役・瑞生役。
「電池~」では『命』の誌を書いた橘結花役(事実は、宮越由貴奈
サン)の成海璃子が、「1リットル~」では妹・亜湖役。
そして、「電池~」では秋葉朋子役の松本梨菜が、「1リットル~」
では、脊髄小脳変性症で入院をしているお父さんをかわいらしく
見守り、亜也とも友達になった少女・優花役。
「電池~」の原作本は、こちらです。
「1リットルの涙」をご覧になったり、本を読まれた方で、こちらの本
が未読の方は、ぜひ。
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