谷村有美のクリスマスコンサートで、またまた「1リットルの涙」を思う夜
12月22日(木)、谷村有美のコンサートが、
かつしかシンフォニーヒルズであった。
何度も書いているが、私がもっとも愛した歌手です。
ですが、活動休止やら、結婚やら、出産やらで、
ここしばらくは、活動が不安定。
アルバムどころか、シングルも出ない。
残念ながら、活動休止後の楽曲やライブのパフォー
マンスのクオリティも、全盛期ほどではない。
そろそろ見切りごろかと、何度も思わされるのだが、
ライブも年一回か、多くて2回。
この一年でも、
昨年のクリスマス、今年の出産前イベントのみ。
こんな程度の回数なので、ついつい“悪女の深情け”
(←使い方、間違っています)なのか、結局、見捨て
られずに、いそいそと出かけることになる。
ということで、行ってきました。
さて、ブランクが多すぎて、ボーカルのピッチの安定
しないところとか、歌詞の不安なところなど、相変わ
らず(プロとしてどうよと、心の底で突っ込む)だが、
それでも、今回のパフォーマンスは、昨年のクリス
マスに比べれば、ましだったかな。
始まるまでは、不安で不安で仕方がなかったので
すが、後半は、ほっとしながら、まったりとした時を
すごさせてもらいました。
ですが、この夜、一箇所、とてつもなく、今の私に
とって、胸をつかれる瞬間があったのです。
それは、「♪名前のないうた」。
この曲は、もともと、大阪教育大学付属小学校の
児童殺害事件の年、池田市の夏祭りにゲストとして
呼ばれた谷村さんが、移動中の飛行機(だったと記
憶している)の中で急いで作ったものです。
こういう残忍な事件がおこったので、お祭りは自粛で
中止も考えられました。しかし、地域の子供たちが、
少しでも元気になってくれたらという考えのもと、ギリギリ
で予定どおり開催することが決定されました。
そこで、谷村さんは、“天に召された小さな8人の天使”
(by谷村さん)の鎮魂として、この歌をその当日、弾き語り
で歌ってくれたのです。
当日、私は参加していましたが、まだ出来たてほやほや
の歌詞が、シンプルなピアノ伴奏に乗って、谷村さんの
声で歌われて、かなり感動したのを覚えています。
「♪名前のないうた」というタイトルは、この時に、出来立て
で、まだタイトルがついていなかったことに由来します。
(のちに、「♪エントランス」というシングルにカップリング
された時のアレンジは、あまり好きではないのですが)
ですが、今の私にとっては、
この曲が、池内亜也を送った曲に聴こえて仕方がなかった。
歌詞を引用します。
まず、Aメロでは
大丈夫 あの頃のようにと、残された人への癒しの呼びかけ。
無邪気に笑い合える 明日はくるから難しいことを知った今でも
当たり前のように穏やかでいたい
続くBメロでは、
この手を空にのばしてと、残された人間が、逝ってしまった人を思う気持ちを
届くならもう一度抱きしめたい
この両の手を空にのばして
できるなら今すぐ抱きしめたい
表現しています。
それに続いて、
あなたが教えてくれたモノは前へと進む勇気まさしく逝ってしまった人の残してくれたことに大きな
愛するモノを守り通せる強さ....uhh
意味があったと表現しています。
そしてサビの
泣いたり 笑ったり 時には怒ったりこのサビの部分。谷村さんの歌、声ということだけでなく、
いつもあなたはここに生きている泣いたり 笑ったり 時には怒ったり
今日も私はここで生きている泣いても 笑っても 時には怒っても
いつもあなたと共に生きている生まれ変わって
もう一度出逢って
私を見つけて名前を呼んでね
今の私の心理状態では、ほんま響きすぎます。
ここにあるように、池内亜也は、決して単なる一ドラマの
役としてではなく、リアルな存在として、どんな時にも
ずっと私の心の中に生き続けるだろう。
ほんとに、笑顔のあなたに、もう一度出会いたいよ。
(完全に、いかれてます、私。
自覚はあるんだが、ほんまどうしようのないのよ。)
そして、自分の行動をモニターするための基準として、
いつも、彼女と共に生きていくだろう。
こんな年になってから言うのも恥ずかしいが、
彼女に恥ずかしくない人間でいたいと、改めて思うし、
これからでも、もっとなっていきたいと、心の底から
思う。
これからでも、オレにできることは、なんだろう。
小さなことでもいいから。
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