「カー娘。」という呼び名までできたのか、カーリング女子代表「チーム青森」
不調が続く、トリノ五輪日本選手団の中で、
ひときわ注目を浴びることになった、女子カーリング
代表の“チーム青森”。
しかし
「カーリングのおもしろさを初めて知った」
「こんなに面白いスポーツだったのか、カーリングは」
などという反応に、実は私は驚いている。
長野五輪の際の男子カーリング、若きスキッパー
敦賀信人選手の、美しき“一筋の涙”で有名な
タイブレーク、日本対アメリカ戦(男子)を見て、
みんな知っているものだと思っていた。
たしか、
ジャンプかアルペンの生中継の予定が、天候の関係で
試合が中断になっており、予定に無かったカーリングの
タイブレークが突然生中継で飛び込んできた。
競合アメリカと一歩も引かない熱の入った試合。
同点で迎えた最終エンド、先行の日本の敦賀選手の
最終ショットが、密集するストーンを抜け、ハウスの
真ん中近くに完璧なドロー。
これで、日本は準決勝に進めると誰もが思ったその時、
アメリカのスキッパーの投じたストーンが、先ほどの
敦賀選手以上の完璧なドロー。
おそらく中心からの距離にして、差は数センチだったの
ではないか。
アメリカの本当に僅差での勝利。
おそらく年齢的にして倍近いアメリカのスキッパーを
祝福するために握手をしたあと、ふと放心したように
膝をついた敦賀選手の目から、つ~っと一筋の美しい
涙が流れ、右手で目を覆う。
映画『シムソンズ』において、主人公加藤ローサ演じる
和子の憧れ“マサト様”の元となるこのシーンは、
日本中が沸きに沸いていた長野五輪の、隠れた名場面
として、多くの人の目に触れたものだと思っていた。
だから、
勝利の際の(小野寺)歩タン(;´Д`)ハアハアの「ば~ちゃん、
やったよ~」と言い、
凛々しい目線の林選手と言い、
マリリンこと本橋選手の試合前の選手紹介の際の
暴走(笑)っぷりと言い、
ちょっとキャラは薄い寺田桜子選手と言い、
残念ながらリザーブに回りましたがその名も“萌え~っ”の
目黒選手と言い、
途中休憩の際のゆる~いリラックス振りと言い、
彼女らのキャラクターとしての抜群な魅力は今回の
発見なのかもしれないが、
ゲームとしての面白さまで国民的に新発見だったとは
知らなかったわ。
肉体を駆使するという意味でのスポーツ的であるか?と
問われると、たしかに微妙ではあるが、頭脳と技術を駆使
するという意味においては、非常に戦略的で、おもしろい
ゲームであるので、
今回の一過性で終わらせること無く、継続的に支えて
いってあげましょうよ、国民のみなさん。
でも、何が凄いって、歩タン(;´Д`)ハアハアと林選手の「シム
ソンズ」の出身地であるカーリングのメッカ、常呂町。
常呂カーリング協会の設立は、1980年2月。
それに対して、北海道カーリング協会設立は1981年。
さらに、
1984年になってようやく日本カーリング協会が設立
なんですよ。
そりゃ、常呂っ子、強いよな。
町民の7割方がチーム作ってやってるとか言うし。
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基本はサッカー中心のブログの
スポーツ見るもの語る者~フモフモコラムさんも、
カーリングを大フィーチャー。
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コメント
トラバさせてもらいました^^
ホントに小野寺選手達の活躍に感動しましたぁ~^^
「チーム青森」よくやりましたよね^^
投稿: ある | 2006/02/22 19:16