花の寺で考える、日本を愛するってことは、どういうことなんだろう。
さて、当blogでは、賛否の分かれる時事問題は、
あんまり扱わないようにしている。
しょせん、私の思考のレベルは低いからね。
ただ、今回、勝持寺を訪ねて、ちょっと考え込ん
でしまった。
そのきっかけは、コレ、
仁王門から上る参道の途中を、
京都第2外環状道路が横切るというもの。
今回、自民党と公明党の間で教育基本法の改正
に“愛国心”を記述する、ということで合意した。
私は、日本人に対して、何らかのパトリオティズム
(「愛国心」と言う表現が正しいかどうかは大いに
疑問だが)を持ってほしいと思う。
ただ、それを政府が教育基本法という法律の中で
表記することについてはやや疑問に思っている。
それは置いておいて、こういったところで表記され
る“愛国心”って、具体的にどういうことを言ってい
るのだろう。
私は、日本を愛しているつもりだ。
長い日本の歴史の中で作り出され、愛され、守ら
れて、今に残っている文化や風土を愛している。
この大原野という平安の時代から貴族に愛されて
きた風土も、守りたいと思う。
だから、この道路開発にはやはり腹が立つ。
以前、円通寺のエントリーの際にも書いたが、過去
の日本人が作り出し、愛して、守ってきた、まさしく
“日本ならでは”の文化的景観を守れなくて、何が
国を愛するだ、と思ってしまう。
貴重な文化風土を破壊する開発に、各地方の文化
風土の個別性を消し去る全国一律の開発に邁進し
てきた政府が、“愛国”を言うのに対しては、「どの
口がそれを言うのか」と思ってしまう。
愛国のスタートは、まずは、多くの先人が愛してきた
日本各地の文化風土を守ることからだ。
特に、日本文化のふるさととも言える京都を守らな
くて、どうするんだよ。
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