野球の人気は、本当に洗脳だったのか?
さて、ちょっと書いてみると言いながら、なかなか筆の進まなかった「“野球”対“サッカー”」議論についての考察ですが、ようやくいくつかエントリーをしてみます。
まず、今回は、野球に対しての批判のひとつの典型例としてよくある、「日本に野球の人気はメディア(とアメリカ)の洗脳」という言い方について考えてみます。
これに関しては、
過去数十年、野球がたしかに否定しきれない人気を持っていた点についてメディアが与えた影響の議論と、
現在、明らかに人気が低迷し始めている中での、それでも過剰に野球に固執しているように見える(それを、「防衛軍」と称することもある)メディアの行動に関する議論は
十分に分けた方が良いと、私は思っています。
今のマスメディア、特にテレビを中心とする、野球に関するかなり偏った言説は、(特に古館の『報道ステーション』を代表に)たしかに限度を超えている部分はあり、かなり胡散臭い状況にあります。
これを見て、アンチの方が、メディアによる野球洗脳という表現をすることも、ある程度は仕方がないかなとも思います。
しかし、では、過去数十年の野球の人気までが、メディアによる“洗脳”の結果による、外部からつくられた砂上の楼閣、幻想であったのでしょうか。
今の野球人気の長期低落傾向は、“洗脳”が解けたということなのでしょうか。
明治維新から文明開化の時代、日本には、お雇い外国人の手によって、さらに欧米への留学生が留学先で体験したことによって、多くのスポーツが紹介されました。
よく、日本には欧米に比べてスポーツの歴史がない、という言い方がされます。
イングランドのサッカークラブチームなどは日本で言うと江戸時代からあったとか、ラグビーの最古のテストマッチは130年以上の歴史がある、といった紋切り型で、日本のスポーツの歴史の短さを、スポーツ文化が定着していないことの理由として、批判的に語ることもあります。
しかし、実は、多くのスポーツは、その最初の公式ルールの成立であったり、協会組織の成立から、わずか20~30年程度以内の遅れで日本に入ってきています。
1870年代には神戸や横浜の居留地で行なわれていたサッカーしかり、慶応義塾の田中銀之助のラグビーしかり、そして野球もしかりです。
(ただ、サッカーの場合は、日本人チームで試合が行なわるまでには、もう少し時間がかかったとも言われています)
そして、こういったスポーツが、まずプレイするものとして、特に、当時の帝国大学や師範学校、関東や関西の私立大学、さらには各地のナンバー学校(〇〇一中、二中)などを中心に、心身の鍛錬も兼ねて特に教育と言う視点を重視して推奨され、普及をしていきました。
その結果、日本では、近代スポーツの歴史と言うことにおいては、欧米と同じ程度(やや短め)の期間をかけて、しかし少し異なるカタチでの発展をしてきたわけです。
(「日本にはスポーツ文化がない」という物言いは、日本スポーツ自虐史観だと思う)
で、その中でも、いち早く、しかも広い層に定着したのが、野球だったようです。
と言うのも、明治44年(1911)の段階で、東京朝日新聞社が「野球害毒論」という、当時、過熱気味であった野球人気の抑制をはかるキャンペーンをはったのですから。
ここ大事ですよ。
当時、野球の早慶戦が異様な盛り上がりで、加熱による問題が起こったり、各地方ごとで旧制高校が中心となって地域の対抗意識を燃やす中等学校野球大会などが開催されるなど、その人気は、定着し始めていたと言っても良いでしょう。
その状況に対して、いまや高校野球を煽りに煽っていると批判されている朝日新聞が、野球害毒論というネガティブキャンペーンをはったのですよ。
その意図は、当時人気があるものに対して批判的な、旗幟を鮮明にした論陣を張ることで、ライバル紙に対する差別化をはかると言うことだったのでしょう。
しかも、その批判の内容は、
「手の平への強い玉を受けるため、その振動が脳に伝わって脳の作用を遅鈍にさせる。」 (松見順天中学校長)
と、まるで、「ヘディングのし過ぎで馬鹿になる」という一部のサッカー誹謗と同じようなレベルの噴飯ものの言説。
つまり、この時点では、野球の人気の定着に対して、マスコミが、積極的に加担した、つまり読者たちを洗脳したとは言えない訳です。
いや、むしろ、野球人気に対して、冷や水をかけようとしていた訳です。
その後、これに対して、対抗上、東京日日新聞(現・毎日新聞)が「野球擁護論」を、追っかけで連載したという話もあります。
しかし、このキャンペーンも功を奏さず、野球人気にストップをかけることはできませんでした。
そして、朝日新聞自身も、おそらくあまりに野球人気が高いので、これ以上、世論を敵にするとまずいという判断もあったのかもしれません。
思いっきりの手の平返しで、中等学校野球大会(現・夏の高校野球)の主催者となったのです。
(「害毒論」を主張した手前、その後朝日新聞は、逆に、野球は教育に良いと過剰に主張をせざるを得なくなったのですが)
つまり、少なくとも、明治から大正にかけての日本人は、メディアの洗脳などではなく、自ら積極的に野球を選択したと言えるでしょう。
またその後もメディアは、大学野球特に東京六大学に比べて、職業野球を蔑視し、大きく扱わないなど、決して野球礼賛一辺倒だった訳ではありません。
プロ野球が現在のような扱いになったもの、当時野球界の人気の最高峰であった東京六大学で、ホームラン記録を塗り替えるか否かが絶大なる関心を呼んでいた立教大学の長嶋が、ジャイアンツに入団するという流れの中で、後追い的に生まれてきたと言っても良いでしょう。
つまり、少なくとも、過去数十年間のメディアの野球に対する扱いは、どちらかと言うと、自然発生的に高まってきた人気に便乗した、と表現した方が良く、もともと根拠の薄かったものを積極的に“洗脳”するために展開したというのは、言いすぎではないでしょうか。
政府のプロパガンダやメディア等の洗脳により、国民、市民の趣味嗜好や価値観をコントロールされたという議論は、「“私たち庶民”は何も悪くない無垢なる存在で、陰謀をはかる黒幕が世の中にいる」という言い方で責任逃れもでき、陰謀論というお話としておもしろくはありますが、世の中そんな単純なもんではありません。
それが今から見ておかしく見えようが、過去の野球の日本国内における人気が“洗脳”による幻想であると言うのは、先人たちに対して失礼なような気がします。
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