例えば、日本テレビは、サッカーの敵なのだろうか?高校サッカー編①
野球ファン以外、特にサッカーファンからは、日本のメディア、特にテレビ局は野球界、特にプロ野球界と一体化して、野球人気を洗脳し、他のスポーツを圧迫していると批判されがちです。
中でも、プロ野球の“中心”であるジャイアンツとの関係で、讀賣新聞・日本テレビは、特に野球の味方、サッカーの敵といった感じで、非常に評判が悪い。
しかし、本当にそうなのでしょうか?
長い間サッカーを見てきた者としては、実はそこまで思えないんですよね。
というのも、讀賣・日テレは、高校サッカー選手権、キリンカップ、トヨタカップ、そして今や評判は悪いですが当時は日本サッカー界に希望の灯をともしてくれた讀賣クラブという、サッカー界にとって重要なコンテンツを支えてきてくれた、という歴史を持っているからです。
まずは、高校サッカーに関しての日テレのかかわり方をば、少しまとめてみましょう。
2002world.com高校サッカー選手権の歴史
⇒全国高校サッカー選手権の始まり ~第1回日本フートボール大会
⇒日本フートボール大会から全国高校サッカー選手権への変遷
高校サッカー選手権の前身である「全国中等学校蹴球選手権大会」の第一回は、現在の毎日新聞の主催によって「日本フートボール優勝大会」として開催されました。
当初は、毎日新聞が大阪を本拠としていたこともあり、関西のサッカー界が中心となり、関西地区の代表のみが集まった大会でした。
さらに、第9回大会から地区予選が開催されるようになり、当時の日本の領土であった朝鮮半島も含め、各地区の代表が集うようになり、関西だけではなく朝鮮、広島や埼玉のチームが優勝をするようになり、名実ともに全国大会となってきました。
しかし、毎日新聞と関西サッカー界の尽力のもと、さまざまな苦労をしながらも、西宮球場・西宮競技場や大阪・長居競技場など、関西での開催が続きました。
この点から、もう一つの単純化した言説、「関西はアンチサッカー地域」というのは、歴史的に言うと、けっして正しくは無いことがわかります。
ですが、「高校生のスポーツの全国大会は国体を除き1つしか認めない」という文部省通達が出され、しかも、同じ年に、サッカーも参加するインターハイが開催されることになりました。
そのあおりを受ける形で、「冬の選手権」は、暫定的に協会単独開催の選抜大会に格下げになり、毎日新聞社が手を引き、後ろ盾が無くなってしまうことになったのです。
さらに、大阪・長居競技場を中心とした関西各地での分散開催を余儀なくされ、運営コストも増大し、大会継続は危機的状況となりました。
この窮状を救うことになったのが、東京ベルディの社長も歴任した、日本テレビ(当時)の坂田信久氏だった訳です。
坂田氏は、富山中部高校時代、3年連続して高校選手権出場を果たし、大学も東京教育大学(現筑波大学)で活躍した、根っからのサッカーマン。
しかし、当時、高校選手権は決勝戦のみNHKで中継だったため、大会での自分の活躍が放送されず、非常に悔しい思いをし、「何とか高校選手権を全試合中継して、サッカーを野球と並ぶ人気スポーツにしたい!」という思いを持ち続けていたとのことです。
⇒②に続く
野球批判派の代表格としての「日本の国民的スポーツは野球か?それともサッカーか?」の最新エントリーにTBしておきます。
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