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2007/03/30

サッカーと野球の世界普及の違いについて、一点考慮しなければならないこと②

①から続く

さて、世界中でイギリスの経済的・軍事的影響力の強い時代、各地に在住するイギリス人だけではなく、当然ながら、イギリスと商売上の関係を持とうとした現地の人々も多くいました。
そして、イギリスエリート層との交流を潤滑にし、取引を円滑に行うために、現地エリート層も積極的にイギリスエリート層のクラブでおこなわれているさまざまな文化・習慣を受け入れていきました。
その代表的なものが、イギリス人クラブライフの中心であったスポーツ、サッカー(やラグビー、競馬など)だった訳です。

つまり、当時のサッカー(含むスポーツ)は、現在のビジネスマンにとって、ゴルフをプレーすると同じような意味を持っていたとも言えるのですね。

香港チームが最初期のアジア地域で最強を誇ったのも、イギリス領だったからこそいち早くイギリス人がサッカーを持ち込み、裕福な学生層を中心に受け入れたからでもあります。

また、欧州人って連中は、大航海時代/大侵略時代のキリスト教布教(その裏返しとしての、現地の信仰破壊)に代表されるように、自らの文化が進んだものであると自負し、それを啓蒙・伝道しなければならないと思いこんでいる訳です。
はっきり言って、余計なお世話なのですが。
そのため、当時イギリスで成立し始めた近代スポーツも啓蒙の対象になったのです。

だから、より強調してみれば、イギリスは、世界中に対して、サッカー(をはじめとするイギリス発の近代スポーツ)を、押し付けようとした、“洗脳”しようとしたとも言えるんですよね。

ただ、イギリスが各地に持ち込んだスポーツは、もちろんサッカーだけではなく、ラグビーやクリケット、競馬などもスポーツ競技としてあった訳で、その中でサッカーだけが、ここまで受容されたということは、サッカーに他の種目を上回る競技そのものとしての魅力があったことは間違いがないでしょう。

それが、よく言われるボールひとつあればできるというコスト面のハードルの低さなのか、ルールの条文=制約が少ないというプレー上のとっつき易さなのか(クリケットなんか、特によくわからへんもんね。ラグビーも、密集周辺とかわかりにくいわな)、それともプレーそのものから感じられる楽しさだったのかは、わかりませんが。

一方、当時のアメリカと言えば、政治経済の発展段階は、イギリスとはまだ比べ物にならない状態でした。
発展段階を先に進んでいた欧州各国とは違い、植民地もほとんどもっていませんでしたし、19世紀の間は、対外投資はまだ赤字、つまり投資を受ける側だったとのこと。
つまり、政治経済的・軍事的な影響力を、世界に対しまだまだ行使できないレベルだったのです。

また、今の世界各地に余計な手を出しまくっているアメリカのイメージとは大違いで、もともとモンロー主義の伝統があったため、あまり海外にアメリカ文化を輸出・啓蒙するという意思は、当時はあまりなかったようです。

さらに、19世紀後半の間は、まだまだ国内にフロンティアがだいぶ残っており、海外へ進出するよりも、大西部開拓の方が、国家的な課題でした。

加えて、野球はビジネス上の可能性を示す興行上の価値を示しはじめていました。そのビジネス上の権益を守るために、当初からチーム保有者間の連合(ナショナル・リーグ)が生まれました。

ということで、当時アメリカ国内で金と影響力を持っていた野球組織であるナショナル・リーグは、ビジネス上のライバルであるインターナショナル・リーグやら地域リーグなどとの競争に勝ちつつ、市場をコントロールしながら、国内での開拓先の新都市で競技を普及させながら新チームを定着させていくことの方が、野球の海外などへの伝道・普及などよりも、重要な課題だったのです。

創成期当時、ほとんど唯一、海外へ普及しようとした試みは、アメリカの精神的な母国であったイギリスに遠征して行われた、クリケット/野球の混成ツアーくらいなものでした。
その当時の反応は、「野球はアメリカ人にとっては素晴らしいゲームである」(英国皇太子)、「クリケットはイギリス人にとっては素晴らしいゲームである」(ツアー興行主であったスポルディング氏)ということで、結局、お互い平行線であったようです。

ということで、サッカーと野球の創成期の他国への普及は、当時のイギリスとアメリカの世界への影響力の違いをもとに、圧倒的にサッカーが先行したのです。
しかも、今度は、イギリスとの世界への影響力のライバルであったフランスが、FIFAという組織をつくり、サッカーの世界普及への主導権を握り始めます。
その結果、1908年のロンドン五輪でサッカーは競技として採用され、1910年代には、サッカーは、かなりの国や地域で一定の普及をしていました。

他方、ようやくアメリカがその影響力を世界に行使し始めるのは、第一次世界大戦後です。
しかも、アメリカという国は世界に対し影響力を持ち始めても、アメリカの野球組織は相変わらず国際的な普及よりも、国内でのビジネスを優先していました。
それは、ごく最近まで続いてきました。

さらに、よく言われるフィールドの共用性の無さ(サッカー、ラグビー、陸上競技あたりは兼用フィールドを作れるが、野球のフィールドは他の競技と共用できない)による移行コストの高さもあり、もし野球が、先に普及されたサッカーなどを本気で覆すにしても、そのハードルは高かったでしょう。

もちろん、本当に野球がサッカーを圧倒する競技としての魅力をもっていれば、先にどれだけサッカーが普及していたとしても、そのハードルを越えて普及していったことでしょう。
現在のバスケットボールのように。
ですから、やはり野球には競技としてのなんらかの欠点があるであろうことも否定はしませんが。

ということで、スポーツとしての魅力の違いだけではなく、そのスポーツの母国であるイギリスとアメリカの政治経済的・軍事的影響力の違いが、少なくとも創成期当初のサッカーと野球との普及の勢いの違いのひとつの大きな理由であり、さらに、初期の普及の勢いの差が引き起こしたその後の普及の圧倒的な差の遠因のひとつであったとも言えるのではないかと思います。
(それだけが理由と言っている訳ではありませんよ、念のため)

アンチ野球派の方も、一応、こういった歴史的背景だけは、認識しておいてもらえれば、嬉しいと思います。

<以上、ステファン・シマンスキー、アンドリュー・ジンバリスト著『サッカーで燃える国 野球で儲ける国 スポーツ文化の経済史』などのまとめ>

野球批判派の代表格としての「日本の国民的スポーツは野球か?それともサッカーか?」の最新エントリーにTBしておきます。

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