う~ん、なんか尻すぼみだったアジアカップ
グループリーグはともかく、トーナメントラウンドに入ってからは、なんとなくジーコ監督時代の劣化コピーのように見えたのは、私だけでしょうか・・・
ジーコ時代からの高原はまだしも、中盤がボールを持っている時の前線での動き出しが少ないため、パッサー揃いの中盤が、ボールをいくらキープしても、フィニッシュを目指せる決定的なスペースへのパスを出せないシーンが続いた。
“人とボールが動く”と言っても、どうも、それは中盤から下に関してのことであり、FWに関してはジーコ時代の柳沢や大黒に比べても、今ひとつだったのではないか。
巻なんかも相手ボールの際の守備の追い込みや、イーブンに近いクサビを受ける際に体をはるなどという点は、よくがんばっていたものの、自らの動きによってMFにパスを“出させる”という点では、まだ不足している。
特に、遠藤は、いつも大黒、アラウージョ、マグノ・アウベス、播戸、バレーといった動きに慣れているからかもしれないが、ガンバ大阪ではバンバン通る仕留めのパスを、セット以外での場面ではほとんど出せなくなってしまったように思う。
それは、中村憲も一緒で、マルクス、ジュニーニョ、我那覇、黒津らへ、中盤の深めからも相手守備陣を切り裂く仕留めのパスが、あまり見られなくなった。
中村俊、遠藤、加地、駒野らへの散らしのパスがほとんどで、自ら決定的なシーンをつくりだすというところには、至らなかったように思う。
もちろん、湿度と高温の東南アジアでの連戦、しかも豪州とのフィジカルな戦いでの延長戦の120分間を経たために、ダメージが残り、中盤以下の動きの質、量も減り、その結果、中村俊や遠藤も危険なスペースへ飛び出しての仕留めのパスを出す余裕がなくなったとも言えるかもしれない。
また、フィニッシュをするための決定的なスペースへの中盤からの飛び出しをする選手というのが、やはり不足していた。
山岸ではやっぱり国内レベルであったし、羽生もよくがんばってはいるけど・・・という感じ。
結局、日本代表って、フィニッシャー問題につきるということだ。
高原一人の覚醒ではまだまだ不足で、もう一人以上、パターンの異なる、フィニッシュの意思のある選手が必要。
そういう意味では、播戸の怪我での辞退ってのが大きかったなあ。
もう一度言おう。
大久保ヨシトはいかがですか?
PS;あと、ジーコ前監督の選手交替(の遅れ)を批判していた人は、今回のオシム監督の選手交替も批判すべきだな。
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