大阪のお屋敷街“帝塚山”の洋菓子店『POIRE』のモーニング(その1)
今まで、御影や住吉山手、須磨、夙川といった神戸阪神間の高級住宅街・邸宅街としての歴史を持つ街や、その中の旧宅などを紹介する、いくつかのエントリーをしてきました。
<例えば>
⇒住吉の乾邸 1、2、3、4、5
⇒住吉の小寺邸
⇒須磨の室谷邸
⇒須磨の岡崎邸ほか
⇒京都の下河原
さて、今回は、少しエリアを変えて、大阪の南部に足を運びましょう。
明治10年代から20年代にかけて、阪堺鉄道(現在の南海電鉄の前身)が開業したことにより、大阪の船場・島之内の商人が、その沿線に別邸を構え始め、住宅地として注目され始めました。
それが、高石や浜寺、そして今回紹介する帝塚山・北畠エリアです。
大阪の天満・八軒屋から南下する熊野街道沿いの阿倍野から住吉にかけての上町台地は、高台ゆえの水利の便があまり恵まれてなかったことから、狐狸なども棲むさびしい場所だったといわれています。
しかし、阪堺鉄道沿線で高台地で眺望や風景に優れていたことから、天下茶屋の鯨池を中心に遊園地の建設計画が進められたり、良好な住宅地として注目されるようになったといいます。
よって、芦屋や住吉、さらに北摂の豊中や箕面などの、現在ではより環境的には優れた郊外住宅地よりも歴史があるとも言えます。
しかし、大阪市のスプロール現象により、天王寺・阿倍野あたりの下町が大通りやチンチン電車に面したエリアを中心にだいぶ侵食してきており、古い団地なども散在しております。
また、長い歴史がある分、代替わりが多いためか、特に高度成長の時期とバブルの時期の地価高騰が拍車をかけ、昔ながらのお屋敷の数はだいぶ減ってしまい、敷地が細かく分割されたり、マンションになったりもしていて、お屋敷街という感じは、少し薄れてしまっている感は否めません。
しかし、やはり大阪市内最高の住宅街であることは間違いないようで、このようなお屋敷はまだまだ残っています。
また、上町台地が入り組んでいるため、このようなたたずまいの感じられる坂道も。
このエリアの代表的景観のひとつである万代池。近隣にお住まいの方々が、大きな犬を連れての散歩をされていますね。
大型犬は、高級住宅街のひとつの指標でもありますね。
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