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2008/01/03

北摂の山間に抱かれた名社・多田神社の里

大阪府と兵庫県の境界を流れる猪名川の上流、大阪のベッドタウンとしてのニュータウンが連なる中に、昔ながらのたたずまいを残す多田庄という里がある。

武家の棟梁筋である源氏の中でも、嫡流中の嫡流、清和源氏の始祖である源満仲を祀る多田神社が鎮座する里だ。
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北の源流から、南に流れてきた猪名川上流の急流が、北摂の山塊にぶつかり、南北から突然東西に流れを変え、再び南北に急にその流れを変える、そういった土地に、多田庄は立地する。

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そのため、多田庄、多田神社門前を流れる猪名川の河床はこのように岩盤が露出していて、いかにも急流。現在は、上流の一庫ダムがあるため、それでも水量が安定しているのだろうが、ダムがなかった頃には、この急な流れの方向の変化で、この場所は非常な暴れ川であったのではないだろうか。
その暴れ川を鎮めるために、この土地に神が祀られたというのは、大いに想像がつく。

↓多田神社南大門から望む門前のたたずまい。
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多田源氏の祖・多田(源)満仲が、平安中期康保5年(968)~天禄元年(970)頃に、朝廷の守護と藤原氏の荘園を警護の為に、此処多田の地に居館を構えた。
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ここを拠点として、摂津や有馬にまで支配のエリアを広げた多田源氏。
その発祥の地として、始祖満仲と頼光の廟墓を祀るために、多田院法華三昧寺という当初は天台宗、鎌倉時代からは律宗の寺院が創立された。
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明治維新時の神仏分離、さらに廃仏毀釈運動を生き残るために、寺院は神社への衣替えを余儀なくされ、多田院は多田神社となった。

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境内正面の階段の上にあるのが南大門、寺院だった頃には、今は同じ北摂にある満願寺の仁王門に安置されている金剛力士像が安置されていたという。

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続いて、境内の中心、内郭の入り口である随神門(重要文化財)。
左右にのびる築地塀も風格を感じさせる。

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随神門を抜けると清浄なたたずまいの拝殿と本殿、その背後には霊域である満仲と頼光の御廟所をつつむ樹林。

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鎌倉・室町・江戸と各将軍家が、武家の棟梁の血筋としての清和源氏の祖満仲の廟所として崇敬し、現在の建物の大部分は江戸前期、徳川四代将軍家鋼により始められたものです。

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大社という感じではないですが、風格の感じられる名社と言えるでしょう。
阪神間にお住まいの方は、一度参拝あれ。

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