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2008/01/05

兵庫県小野市の国宝・浄土寺浄土堂

兵庫県の中央部にある小野市。
さほど大きくもない、日本の田舎にはよくある規模の町であるが、ここに、日本の建築史的にも非常に貴重な国宝建築がある。

それが、浄土寺浄土堂(阿弥陀堂)。
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浄土寺の前身は、奈良時代の僧・行基の建立したとも言われるが、実質的な開山は鎌倉時代初期。
平氏による南都焼き討ちで壊滅的な打撃を受けた東大寺の復興の大勧進(総責任者)となったのが僧・俊乗坊重源。

重源は大仏再興事業のために、日本各地にあった7箇所の東大寺の領に「別所」という拠点をつくり、領地からあがる収益の管理をおこなった。
伊賀(三重県)、周防(山口県)などに「別所」をつくったのだが、そのうちの一箇所、播磨国大部庄に開いた「播磨別所」のあとこそが、この浄土寺である。
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重源は、大仏を安置するための大きな空間を構成するために、当時中国で展開されていた建築様式を日本に導入した。
天竺様あるいは大仏様と呼ばれる様式で、特に、水平方向の材が、柱を貫く「貫(ぬき)」と呼ばれる手法で木造建築としてはスーパーなスケールでの強固な構造を実現するとともに、天井をはらずに、屋根裏の高さまで空間がそのまま広がる大空間を実現している。
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また、肘木とはいう屋根や軒を支える構造材の一つが、柱に挿し込まれて、上部に行くほど持ち出される挿肘木と言う手法がとられています。

その純粋な様式での当時の遺構が残っているのが、わずかに東大寺の南大門と、ここ浄土寺の浄土堂の二箇所。

そういう意味で、日本建築史上でも本当に貴重です。

小野の市街地の北東にある浄谷と呼ばれる集落に立地する浄土寺の周りは田園風景である。
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水田に囲まれて、僅かに高くなった小さな丘上にある境内の周りを白壁が続き、その上から浄土堂の宝形造の瓦葺きの屋根が垣間見える。

看板の案内に従って、塔頭「歓喜院」側の階段から境内に上がる。
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夏の強い陽射しが境内の白砂利に激しく反射する。

正面に、鎮守の八幡神社の拝殿、本殿に続く参道を導く鳥居があり、右に薬師堂(本堂)、左に浄土堂と呼ばれる阿弥陀堂が配されている。

↓八幡神社(こちらも重要文化財)
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↓境内、手前が浄土堂、奥が薬師堂
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浄土堂(阿弥陀堂)は、三間四方の宝形造、本瓦葺き。朱塗りの鮮やかな堂。
三間といっても一間=柱間は、非常に幅広く、雄大豪壮である。
また、宝形の屋根のラインが直線的で、和風の建築とは異なり硬質な感じもする。
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薬師堂も、重源によって、浄土堂と同じ形式で建立されたのだが、室町期に消失したため、和様との折衷様で再建された。
浄土堂と同じサイズながらも、五間四方宝形造となっているのは、大仏様に比べて構造的に柱間が短くならざるを得ないためて、そこらへんは見比べると日本建築史の変遷を感じ取れ興味深い。
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さて、浄土堂に戻ると、堂内は撮影禁止のために写真がなく、残念だが、圧倒的なスケールの空間が広がっている。
その中に屹立するのが、これも圧倒的なスケールの国宝の阿弥陀三尊立像。

宝形の屋根裏の高さにあわせるように、堂内いっぱいに直立する5メートルを超す像の力強さに、当時の人は、まさに極楽浄土を見る思いだったろう。

特に、この場所が丘陵の西端に立地し、西方に向かって見晴らしのきくことから、像の背後の蔀戸から夕陽の光が堂内に射し込み、あたかも西方浄土から雲に乗って来迎するかのごとく演出される。

↓浄土堂西側の蔀戸
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↓高台にある境内西方にひろがる平地
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重源の構想力は、現代人から見ても、すばらしいものである。

ぜひ、夕刻までこのお堂の中で、ゆっくりと時間を過ごしてほしいものだ。

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