ちょっと尋ねてみたい・・・これって、どちらかと言えば親の過失なのではないか??
時事ネタは、あまりテーマにしないのですが、たまたま今朝、CX系の報道バラエティ(?)『とくダネ!』の最初のあたりで、メインキャスターの小倉智明が、妙にハイテンションで批判的トークを繰り広げていたので、気になったニュースがあった。
事故が起こった際(もう9年も前とのこと)に報道された記憶がかすかにあるが、お祭りに子どもを連れて行った際に、親が目を離した際に、綿菓子を咥えた子どもがつまづいて、その中心にある割りばしが、のどを通して、小脳にまで突き刺さってしまった。その割りばしを親が抜いて救急病院に連れて行ったが、割りばしの一部が折れてそのまま小脳に残って突き刺さっており、医師がそれを発見できず、傷口だけを処理したまま帰した。その後、状態が急変し、そのお子さんが残念ながら亡くなってしまったというもの(のようだ)。
さて、これを医療過誤として訴えるってのが、私にはどうにも理解できないのです。
どちらかと言うと、親の不注意(による過失)の問題でもあるようにも思うが、それ以上に、誰にも過失を問えない、あまりにも不幸な偶然が重なって、幼い命が失われた事故ということでしかないような気がするのです。
この事故の場合に、病院に対して「お子さんの死亡の“原因”」を問うのは過剰すぎるような気がするのです。
歴史的に見ると、衛生環境、栄養状況が満足なものでなかった頃には、乳幼児の死亡と言うのは病気が多かったが、その改善に従って、不幸な事故が最も多くなってきたというのが事実。
しかも、その事故と言うのは、残念ながら、避け得ないものも多い。
というか、事故の原因を100%無くそうと思えば、あまりにも過保護社会になってしまい、現実的には成立しない。
(例えば、トイレとかに設置されている乳児用のおむつ取替え台でも、こどもが転落して重篤な怪我になることもあるそうだ。おむつを取り替えたあとに、つい片づけするために、目を離した際に横から転がり落ちてしまうとか、。たとえ、ベルトをしていたとしても、意外と強い脚力でずり上がって落ちてしまうこともあるという。では設置者に、加害責任を問うて、民事訴訟を行なうんでしょうか。アメリカならありそうですが・・・。)
公園や広場などでも、責任を問われたくない管理者の過剰な防衛本能によって、妙な立ち入り規制とか、無粋な柵などが乱立したりもしている。
こういう、「誰にも責任が問えない」としか思えない事故への対処としては、予防のための教育と、保護者の保護意識の涵養しかないのではないでしょうか。
今回の事故から言えるのは、親に対しては「乳幼児からは、目を離さない」、子どもに対しては「長い棒などを口に咥える習慣はつけさせない」というのが、教訓ではないのでしょうか。
そして、ご家族に対しては、事故に対してのお悔やみの感情を示すしかないと・・・。
(もちろん、お子様を亡くされたご両親としては、その後悔と辛さをなんらかのカタチで晴らしたいという気持ちは、理解できないでもないですが、それを医療過誤裁判で解消しようというのは、違うような気もします)
さて、みなさん、どうお思いでしょう?
やっぱり病院には、どんな事態や状況でも患者を救うべき責任を負わせなければいけなんでしょうか?
この記事を書くために「とくダネ!」の番組サイトを見たが、番組で、医療事故撲滅キャンペーンとやらをやっているせいで、小倉は妙にハイテンションで批判的言辞を弄していたのかなぁ。
<本エントリーのTB先>
同じような疑問を持っておいでの方がいらっしゃったので、TBをお送りいたします。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
はじめまして。TBありがとうございました。
投稿: 3番目の落書き | 2008/02/14 03:25
こんにちは
管理人さま...
いなか小児科医です。トラバありがとうございました。
この児の親御さんたちの心が癒えるよう祈っています。多分、民事訴訟で勝訴したとしても、むなしさが残るでしょう...。
残念ながら、医師が人間である限り、医療は不確実です。だからこそ、医師と患者さんのとの間に緊密な結びつきがなければならないと感じます。どうして、こんな辛い状況になったのでしょうね...。この児の親御さんと、担当された医師の間は...(嘆息)
投稿: いなか小児科医 | 2008/02/14 11:16
3番目の落書きサン、はじめまして。
こちらも、TB返しを頂きまして、ありがとうございます。
いなか小児科医さん、コメントありがとうございます。
させていただきました。
>この児の親御さんたちの心が癒えるよう祈っています。
そうですね、民事訴訟とは別のかたちで。
>残念ながら、医師が人間である限り、医療は不確実です。
そうなんですよね。「医師が人間」というだけでなく、「医療全体が、まだまだ発展過程」でもあるわけで、絶対はないと思うのです。
最近の医療“ミス”報道は、ここに関する認識が浅すぎる気もします。
>だからこそ、医師と患者さんのとの間に緊密な結びつきがなければならないと感じます。
医者の患者への共感能力、コミュニケーション能力の涵養という点は、(最近は、インフォームド・コンセントの概念の浸透で随分改善はされているもの)従前の医学教育では、あまり重視されてきていなかっただけに、この医師と両親の間には、なんらかの齟齬があったのかもしれません。
しかし、もう一方では、救急病院のあまりにも忙しい環境が、残念ながら、パッと見、軽い症状の患者は、早く処理をせざるを得ないということもあったのかもしれません。
投稿: 六甲びと | 2008/02/16 14:18