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2010/02/28

素人なりに岡田ジャパンの戦術的問題点について考えてみる(その1)

女子カーリングをはじめとするバンクーバー五輪の熱戦に集中していて、しばらく忘れていたのだが、ゼロックススーパーカップが行われ、来週いよいよJリーグ開幕ということで、サッカーに意識を戻したところで、改めてベネズエラとの親善試合、東アジア選手権の3試合の合計4試合を思い返して、正直、ワールドカップ南アフリカ大会に向けて、絶望的な気持ちになってしまった。
後藤健生さんはじめ、一部論者の方、岡田監督なら心配することはないという意見もある(例:武藤文雄のサッカー講釈  さん、)ようだが、正直、世論(とやら)の多くと同じく、私は監督交代は積極的にあってしかるべきという気になっている。

そんな状況の中、「世界が指摘する岡田ジャパンの決定的戦術ミス」という本が出版された。

これまでも、杉山茂樹の「数霊術(笑)」本

なども含め、戦術本もいろいろと読んできた(そう言えば、後藤健生さんって、戦術本は書かないんですよね。サッカー史

は書いても。)が、その中でも、もっとも納得がいく内容であったし、タイミング的にも絶妙であったと思う。

まず、この本の中身に触れる前に、杉山茂樹のものを中心に、他の戦術本についての不満点に、少し触れてみたい。
従来の戦術本は、ご存知「数霊術」的に、3-5-2やら、4-2-3-1やらの、オリジナルポジションでの選手の配置での優劣しか語っていないものがほとんどであった。
たしかに、基本的なポジションの関係が、大切なのはよくわかる。
しかし、こういう記述の仕方では、対戦ゲームとしてのサッカーの、本質的な面白さの一つであると、ゲームの中でのかけひき、それによる流れの変化、ダイナミズムが見えてこないと私は思う。

杉山流を極端に言えば、4-2-3-1対3-4-1-2では、その布陣上の優劣によって、試合をする前から4-2-3-1が勝つ、と言っているようなものだ。
そして、試合途中で大きく流れが変わっ逆転した試合としては、チャンピオンズリーグのリバプール対ACミランの大逆転の試合や、ユーロ2004のチェコ対オランダ、さらに2002年の韓国対イタリアといった極端な特殊例をあげている。
あたかも、ゲームの流れを変えるためには、布陣の変更をともなう選手交代しか方法論がないかのごとく、強調して主張しているようにとれる。

しかし、杉山氏が主張する布陣上の優劣をくつがえす結果になった試合なんかいくらでもある。
また、サッカーの大部分の試合は、そこまで大きな布陣のチェンジはないにもかかわらず、試合途中で大きく流れが変わったりもする。
例えば、イングランドのプレミアなんか、ほとんどのチームが4-4-2を基本として、試合の最初から最後まで選手交代はあっても同じ布陣で戦うことがほとんどだ。
そうなると布陣としてはがっぷり四つで優劣は無いわけだ。
だが、実際には、その中でも、ゲームの中での優劣がでてくるし、しかも、その優劣の波は、ほんのちょっとしたことで、行ったり来たりする。
もちろん、ビッグ4対それ以外のチームならば、終始、ほぼすべてのポジションで選手の質的優位を誇るビッグ4が押しっぱなしみたいなゲームもあるが、それですら、ゲームの中で、ビッグ4側がなぜか押し込まれてしまったり、攻撃の組み立てがまったくうまくいかない時間帯だってある。
あるボールのちょっとしたイレギュラーや、ブロックやインターセプトを狙ったボールのちょっとした角度の違いだったりが、偶然に相手にわたり、決定的なシュートを打たれるなどのことから、対面の一人に対して心理的に少し消極的になって、今までよりも相手へのアプローチがコンマ5秒送れがちになる、詰めの距離が1m遠くなるといったようなことが、結局フィールド全体に影響して、試合の流れはガラッとかわったりする。
あるいは、前半からアグレッシブに行き過ぎた選手が、疲労によって少しスピードが減じたため、逆にそのサイドが押し込まれて、一気に流れが逆転することもよくある。

そういった布陣は前提としてあるにしても、実際にフィールド上で起こっている選手同士のプレーのディテールの積み重ねのほうが、サッカーと言う試合を見る時、語る時、分析する時には、大切なのではないかと、私は思う。
例えば、サッカー戦術史の中では、特筆すべき存在となっている1974のオランダなんか、オリジナルポジションにほとんど意味がないサッカーをやっていた訳で、布陣・配置よりも、そこをスタート地点として、ゲームの中でどう動いて相手のマークからはずれるか、逆に相手をどう捉まえるかという、基本的な動き方のセオリーの方が大切だった訳だし。

意地悪をすれば、杉山氏は、自分が大好きな、欧州の「トップモード」らしき4-2-3-1(いや、今のお気に入りは、バルサ流の4-3-3なのかな)同士で試合やったら、その試合の流れ、優劣をどう記述するつもりなんでしょうかねぇという嫌味も言える訳です。

さて、ということで、改めて「世界が指摘する岡田ジャパンの決定的戦術ミス」に戻るのですが、この本の素晴らしいところは、日本代表の試合から実際のプレーシーンの分析の中から、日本代表のチームとしての、そして選手個々のプレーの「癖」を抽出し、そこの背景として横たわっている日本代表の戦術的セオリー、コンセプト、プリンシパルの「誤り」をつぶさに指摘してくれているわけです。
しかも、一試合ではなく、複数の試合を見て、比較することによって、その「誤り」が、コンディションの悪さによってたまたまあらわれたのではないこと。チームの熟成が足りないから、達成されていない訳ではないことを指摘。
つまり、岡田監督及び選手たちが、それを「誤り」だと認識していないであろうことまで、明らかにしていくわけです。

もちろん、この「誤り」の指摘の前提は、分析に協力してくれたイタリア人監督に共通する、イタリア(ただし、多くはヨーロッパサッカー界全般がある程度共有している)ならではの戦術的、戦略的セオリーな訳で、そこの根本からまったく違うチーム、プレーを目指すのであれば、この指摘はナンセンスとなるわけですが。

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