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2010/05/28

それでも、岡田監督を一言強く批判する

現状の日本代表の中に希望を見出すためのエントリーの前に、やはり、ひとつだけ、どうしても表出しておきたい感情がある。

ネットのダークサイドとして、あまりにも下品な誹謗中傷、人格攻撃がある。
私自身も、決して上品な人間ではないし、円満な人格でもないので、同じような下品で汚い言葉をつい口にすることもある。
でも、一方では、口をついて出た汚い言葉に、あとで後悔をする小さい人間でもある。
ということで、口から出たら消えていく言葉以上に、書き言葉としてあとに残り、目についてしまうブログでは、なるべく、感情に任せた言葉はエントリーしないようにしているつもりだ。

しかし、この件だけは、もう感情にまかせて、批判せざるを得ない。

それは、試合後の壮行イベントの件だ(進退伺いの“冗談”の言い訳以上にだ)。

テレビの中継では切られていたが、試合終了後の壮行イベントで、岡田監督がピッチ上に姿をあらわすこともなく、挨拶も川口に任せたという例の件である。

私も、過去、ワールドカップ壮行試合ではないが、五輪への壮行試合(男女のダブルヘッダーだった)は2回続けて参戦し、男子の試合終了後に、男女の代表監督と選手の挨拶は、ファンとしても、やはりチームの熱が感じられ、それまでの強化プロセスの内容とかその日の試合の結果/内容などとかとは関係なく、素直に心の底から応援への意識が高揚させられたものである。

例えば、今大会においても、この日韓戦の前に、国内の最終戦を終え、壮行セレモニーをおこなった韓国は、このような、ファンの熱を誘発するために、素晴らしい壮行の演出をおこなったようだ(この内容の格差については、岡田監督の責任だけではなく、JFA及びそれに付随する広告代理店のサッカー/スポーツの本質を掴みきるプランニング能力の差があらわれているのかもしれないが)。

正直、今の状況の男子サッカー日本代表の状況を見ながら、高い入場料を払ってまで現場に足を運んだ人たちは、サッカーに対して平均以上の関心を持ってくれている人のはずです。
しかも、あの試合(内容+結果)のあと、セレモニーまで残ってくれている人たちです。
日本サッカー界にとっては、おそらく本当に日本サッカー、男子サッカー日本代表に対して熱い思いをもった大切なファンであるはずです。
そんな人たちに対して、きちんとメッセージを残すことができない現場の責任者とは、いったい何なのか。

私は、長居でのセルビア戦で、メインスタンドの中央前目にいたので、あの試合の終了ホイッスル直後に、相手の監督(コーチ)と称えあうこともなく、選手を迎えることもなく、センター通路にすたすたと消えていった岡田監督の姿を目の前で見てしまったということもあって、この件に関しては、いくら擁護しようとしても、とても擁護できない。
というか、どれだけ「糞」とか「敵前逃亡」、「軟弱者」といったような誹謗的な言説をかけらようが、否定できないくらい、岡田監督の精神力の限界、人格的な問題を露呈しているとしか思えない。
私としても、この一件に関してだけは、「ファッキン岡田」、「チキン野郎」と言いたい。

男子サッカーの代表監督、それもワールドカップ本大会を迎えるような時期の代表監督に関しては、本人の能力の限界といったものに関係なく、あまりにも過剰なプレッシャーがかかるのは事実である。
そのプレッシャーの重さが正当なものであるかどうかは、私は疑問に思っているが、しかし、それが事実であるという前提をふまえると、そのプレッシャーに立ち向かう覚悟がないのであれば、自らひくという選択肢だってあったのだから。

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