男子サッカー日本代表新監督が決まるまでに、自分なりの総括しておくか…(その2)
まず、私は、なぜ、事前の岡田監督の準備を批判していたのかと言うと、去年のオランダ戦を象徴的に、とにかく、あまりにも、「自分たちの都合」だけを考え、それを「徹底する」というプレーに固執しているように見えたこと。
私は、大会のけっこう前にも書いたが、
サッカーは、大前提として、対戦ゲームだという当たり前のこと。
そして、対戦ゲームの肝、つまり、おもしろいところ、そして難しいところは、相手あってのこと。自分たちのプレーができれば良い、などというのは、対戦ゲームとしては、下の下の線だ。
しかし、対戦ゲームで、相手に勝つためには、どれだけ、徹底して、相手の嫌なことをやり続けられるのか、相手の裏をかけるのか、相手の得意なプレーを消せるのかだ。
という風に考えている。
にも関わらず、当時の岡田監督下の男子サッカー日本代表の戦いぶりが、あまりにも頑なに見えたのだ。
その、頑なさを反映した具体的なプレーが、例の「世界が指摘する岡田ジャパンの決定的戦術ミス」に指摘されていた、相手も状況も考えずの、あまりに無謀で実りの少ない、前線からの深追いプレッシングと、両サイドバックの同時上がりすぎを含めてのバランスの欠如による後ろの広大なスペースに裸でCBが相手FWに晒される、というプレーだった。
そして、これは、今年に入ってからのセルビア戦でも、そして直前の韓国戦でも、解決されていなかった(と私には見えた)。
その時点でも、岡田監督は、この点について、もう修正する気はないのだな。
この欠点も含めて、当時の言葉で「ハエプレス」(&ショートパスによるポゼッションの徹底)という「我々のコンセプト」を貫く、突き詰めるつもりだと思っていた。
本人もそう語っていた訳だし。
しかし、私は、現在の日本男子サッカーのレベルでは、自らのスタイルを貫くなんぞと言うのは、無謀以外の何ものでもないし、特に今大会は、結果を残すことが前大会以上に大切な、けっこう正念場の大会だと思っていたので、とにかくリアリズムで戦ってほしいと考えていた。
(例えば、選手選考に対しても、こんな感じのエントリーをしていました)
だから、リアリズムを否定して「我々のコンセプト」やらに拘泥するように見えた岡田監督を批判したのだった。
さらに、ここは過去の岡田監督フランスワールドカップの際の日本代表、札幌、横浜FMでの指揮指導ぶりに対する評価の違いとなるのだが、もしリアリズムに方向転換をしたとしても、残念ながら、短時間で新しいコンセプトを浸透させる手腕能力を持っていないと、私は評価をしていた。
ここらへんが、「岡田監督だから大丈夫だ」と事前から評価していた方=事前も事後も肯定派とは違ったんでしょうね。
しかし、スイス合宿以降の練習試合も含めての試行錯誤(としか、今でも、評価できないです。私は)によって、何かを変えようと言う雰囲気は感じられました。
そして、本大会での戦いぶりは、明らかに変わりました。
それまでの「我々のコンセプト」という表現で拘泥していた(ように見えた)無謀な前線からの突っかけプレス=「ハエプレス」は封印。
アンカーを配置することとDFラインの低めでの設定と、サイドバックが無茶に高い位置を取らず、比較的自陣に近いところできちんとブロックをつくってバランスを取る、常識的な戦い方に修正してくれていました。
また、一方では、ゾーンに入ってきたらしぶとく激しくボールホルダーにプレッシャーをかけ、近くの人間も含めて複数で激しくチェックに行くということも徹底し、決して、単なる待ちのディフェンスではなくアグレッシブに、能動的にプレーしていたように見えました。
さらに、攻撃も、中盤でこねまわし気味でシュートになかなかつながらなかった「ショートパス」を封印し、シンプルに前に送るパスと、松井、大久保をはじめとする勇気あるドリブルでの持ち上がりで、比較的早い攻めを中心にしていました。
選手個々の地力が相対的に上の相手に対して、相手の強いところはなるべく避け、自分たちの強みの内、相手と相性の良い部分を生かした、かなり徹底したリアリズムだったと思います。
そういった戦い方の中でも、攻撃時の部分部分では、松井のドリブル、ボールさばきに代表される「日本人好み」の細かい技巧や、もちろん本田、遠藤のFKに見せた、止まったボールを蹴る技術を見せてれたし、日本人選手の特徴である勤勉・真面目さを出し切った、いわゆるハートのある試合であり、その内容は、結果とともに、応援していた人々に、大きな感動と満足を与えてくれたと言ってよいでしょう。
対戦ゲームとしてのサッカーという基本の基本に立ち返り、自分たちのプレー、自分たちのコンセプトなどというものにこだわらなかった姿勢、練習ですらできないような難しいことはやらない、というプレーの割り切り、整理。
そして、自分たちの得意なプレーのうち、相手の弱いところを突けるプレーを嫌らしいほど徹底する(カメルーン戦の右の松井からのクロスを代表とする)、というゲーム戦術と、その遂行。
その前提としてのスカウティング。
あと、ドイツ大会での反省が、日本サッカー界全体として、生かされたのか、結果として見事なものだったコンディショニング。
ギリギリではあったが、戦い方を、よく、リアリズムの方向に振ってくれた。
そして、短い時間ではあったが、そのリアリズムな戦いを、よく煮詰め、遂行してくれた(もちろん監督だけではなく、選手たちも)。
これらが、評価されるべきポイントであったと、私は思っています。
しかし、いかんせん、遅すぎたのではないか?という疑問は、やはり消えません。
出場が決まった段階で、いや、少なくとも、グループリーグの対戦相手が決まった段階で、この3チームと戦うリアリズムの準備を着手しておくべきではなかったか。
結局、すべてのゲームを同じ先発メンバーで行くしかなかったのは、方針転換が余りにもギリギリだったために、結局、リアリズムの戦い方を練習できる期間が短く、結果的にレギュラー組となった選手たちにしか浸透させられなかったということでしょう。
もちろん、誰が出ても同じサッカーができる、というのは、理想論には過ぎません(ドイツも準決勝ミューラー一人欠いただけでかなりレベルダウンしましたし、優勝したスペインですら無理でしょう)が、対戦相手が決まってからの半年あれば、もう少しグループを大きくできたはずです。
もちろん、「勝っているチームはいじるな」ですから、カメルーン戦に勝利したメンバーをいじりにくいのはよく分かりますが、あの戦い方上、消耗がどうしても多くなる長谷部、松井、大久保、さらに結果的にイエローをもらわずにすみましたが、CBの本職についてはバックアップが必要だったと思います。
また、状況を変えるバラエティを、サブメンバーにほとんど準備することができなかったことも、問題だったと思います。
いや、そんなメンバーがいなかっただけだ、とか、チャンスを与えても掴まなかっただけだとかありますが、彼らが試されたのは「ハエプレス」をコンセプトとしたゲームであり、そこで機能しなかったからはずされた(かなり理不尽なカタチではずされた選手もいた)訳で、本大会で行ったリアリズムの戦い方では一度も試されたのではなかった。
結局、旧コンセプトで行われた強化試合の中で評価されたものの、新コンセプトには適応しきれなかった選手が数名出てきてしまい、逆に新コンセプトであれば生きた可能性のある選手を加えることもできなかったため、
「チーム23名(スタッフも含めると30名以上)の団結力で戦った云々」と言われ、美談のようになっていますが、そういう意味では、実質フィールド上では12,3名で戦ったとも言える訳です。
ブラジルのように有り余るハイレベルの人的資源を持っているのであれば、ロナウド、カカなどのように、次世代のエース候補に大会を味あわせるという贅沢もできるであろうが、日本のようにもともとの人的資源のレベルが中以下であればこそ、23名分、すべてをフィールド上で使い尽くすくらいのことをしなければならないと思う。
そういう意味で、やはり、方向転換は遅すぎたのだと、私は思っています。
さて、私はこのように、今大会のプロセスを評価しています。
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