『AKB白熱論争』という書籍にも参加している、社会学者(でよいのかな?)の宇野常寛が、今回の峯岸みなみの件について、tweetしているのをまとめたもの。
たぶん最初に「これを叩きたい」という目的があって、そこにしたがって事実関係にまで尾ひれをつけて指弾する、なんて人もたくさん見かけた。こんなことしても、その人がスッキリするだけで誰も幸せにならないと思うのだけど。
いやいや、
今回の件は、それまで、AKBにどのようなスタンスを取っていたかにかかわらず、叩かざるをえないような、境界線を越えてしまった、事例でしょ。
宇野氏自身が、
最初に「これを称えたい」という目的があって、そこに従って、今回の事実にも過剰に解釈を加えて、擁護しているだけだよ。
AKBグループをめぐるコミュニティは、基本的には閉じていたんだと思う。
アメリカのプロレス団体WWFが、ファンも含んだ大きなコミュニティ(でも、全米、全世界という単位からみると、かなりニッチ)を「WWFユニバース」と呼び、その中の論理で、リング上リング外を通じたストーリーラインを提供し、レスラーたちにパフォーマンスさせていたが、同様の意味で、AKBグループも、「AKBユニバース」として、従来であれば女性アイドル界全体で担っていたさまざまなストーリーラインを縮小し、{AKBユニバース」の中の論理の上で、過剰に再現したカタチなんだと思う。
例えば、米平事件なんかは、あくまでも「AKBユニバース」の中の論理で処理されたわけだが、「AKBユニバース」の外の人にとっては、その論理が“世間一般”の論理と少々ずれていても、別にどうでもよいことだったんだと思う。
米平がどう処置されようが、別に、世の中の体制に、そんなに影響もないし。
逆に、「AKBユニバース」の中の人にとっては、いくら“世間一般”から、CDを複数枚買わせる構造はおかしいと指弾されても、どうでもよいことだった。
また、最近で言うと、リクエストアワーでの劇場支配人信任投票は、かなりまずいやり方だし、「AKBユニバース」の中の価値観から見ても、おそらく、面白くもなんともないという「クソ企画」だったと思うが、とはいうものの、これも、「AKBユニバース」の中の茶番ですという言い訳はきく事象であった。
しかし、今回の件は、
河西の写真集問題なんか、屁でもないくらい、
“世間一般”が反応せざるを得ないような事象であり、もしこれを、「AKBユニバース」の範囲内の反応だけを考えていればすむと、運営側やメンバーが考えているとすれば、それは、さすがに、見込み違いすぎるやろう。
内輪受け、内輪燃えですむ範囲がどこまでなのか?という境界線を見失っているとすれば、それは、なかなかつらいですよ。
しかし、
本日から公開されているドキュメンタリー映画には、指原、増田ゆったん、そして米平事件と、まさしく、恋愛禁止にまつわる事象も描かれているようなのだが、
どんな顔して見たらええんやろ。
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