最近、よく聞くビエンナーレやら、トリエンナーレという言葉。
ともに、イタリア語で、
ビエンナーレ(Biennale)は2年に一度、
トリエンナーレ(Triennale)とは3年に一度
開催される国際美術展覧会のことを言う。
なぜ、英語ではなく、イタリア語が使われるようになったかというと、
その概念のスタートが、ヴェネツィア・ビエンナーレであったため。
既に、100年以上の歴史のある、アート界の一大イベントである
ヴェネツィア・ビエンナーレは、万博やオリンピックのように、
国が出展単位となっているのが特徴。
参加各国は、ヴェネツィア市内にパビリオンを構え(主要国の
恒久的なものもあれば、ヴェネツィア市内のヴィラと呼ばれる
邸宅を期間中だけ借り上げる場合もある)、その中で
国家代表として選ばれたアーティストが作品を展示する。
展示された各国の作品は、審査され、賞を授与されるため
「美術のオリンピック」とも言われるようになっているというもの。
日本においては、ビエンナーレ、トリエンナーレは、おそらく
欧米文化のものという印象が強く、かつ、ハイカルチャーに
くくられるモダンアート系のイベントでは、観光客もそんなに
来ないと言うことから、街おこしの起爆剤としてはそれほど
注目を浴びていなかったように記憶する。
実際、地方自治体の仕事で、アートイベントなどを提案しても、
「目玉の作品は何ですか?ピカソですか?ゴッホですか?
モダンアート?そんな、訳のわからないもんで人は来るん
ですか?」などと言われて却下されたこともある。
もちろん、実際に提案する前の社内検討段階で、「こんなん
じゃ、採用されないよ。もっと派手なもん。テーマパーク作る
とか、スポーツイベント呼ぶとか」と言われたこともある。
しかし、おそらく韓国の光州ビエンナーレが、観光政策的
にも、非先進国の地方都市の国際ブランディングとしても、
一定の成功を果たしたという事例を見て、日本の各地の
自治体が、我も我もと手を上げ始めたような気はする。
特に、ハコモノ行政に、財政的に限界が来ていたという
事情もあったのだろう。
アート好きでもある私個人としては、最初にやっておけば、
もっと評価されたのに、だから言ったやろとは思うが、
一方で、観光客数だけで評価されてもなぁという気もするし、
こんなにどこもかしこもやったら、差別化出来ないやんとも
思うし、
いかがなもんかなぁ、と思う気もある。
それに、
ヴェネツィアなんかに比べると、後発ゆえか、そこに確固と
した理念がないためか、国際アート界における地位や影響力
が高いコミッショナーの人材が日本には少ないためなのか、
正直、参加アーチストや作品のクオリティ面や、
作品のアート史における意味やインパクトに、
疑問もある場合も多いように感じる。
それでも、
無いよりは、ある方が良い。
アートとの接点と言うのは、日常生活の中で凝り固まって
しまっている、自分の認識に対する裂け目やゆらぎを
引き起こし、世の中の見方を一新する点にある。
そんな作品が、一つでもあれば、それは
私にとって、そしてあなたにとって、
そのビエンナーレ、トリエンナーレは成功なんだ。
ということで、
現在、
愛知県では、あいちトリエンナーレ、
神戸では、こうべビエンナーレが開催中。
あいちトリエンナーレに関しては、
「われわれはどこに立っているのか?
場所、記憶、そして復活」という、東日本大震災を
強くイメージさせるテーマ設定となっている。
愛知県美術館会場の
やのべけんじさんの一連の巨大な作品は、
特に、そのテーマ性を感じさせてくれるもの。
一方、親しみやすや、わかりやすさの点では、
台湾の芸術グループ、打開連合設計事務所の作品。
地下鉄伏見町駅の伏見地下街への入り口及び地下街で、
BluePrintシリーズとして「長者町ブループリント」を
発表。
青地に白線で描かれた騙し絵風のドローイングが見せる、
楽しい異空間となっています!
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