2006/02/05

こういう記事は良い、Number「SCORE CARD」の浅田真樹氏のコラム

先日、Numberでの杉山茂樹の連載コラムを酷評をした
訳ですが、今度は、Number同号の「SCORE CARD」と
いうミニコラム欄にあった良い記事を紹介したい。

「SCORE CARD」の『SOCCER』欄、浅田真樹氏のコラム。
題して、
「プロとしての社会性を示した2人のJリーガー」。

最後に名前を呼ばれて登壇した佐藤寿人は、最愛の妻、家族に続けて、自分が所属した4クラブすべてを挙げて(しかも正式名称で)、感謝の意を表した。

と、昨年のJリーグ・アウォーズで、ベスト11に選ばれた
際に、サッカー好きのblogでもかなりピックアップされていた
サンフレッチェ広島の佐藤寿人のコメントを紹介し、
コメント全文はこちら⇒「J's GOAL」

なかには苦々しい思いでしかないクラブもある。だが、それを含めて、自身の成長の糧として受け止めている。そんな彼の気持ちが伝わってくる、実にすばらしいスピーチだった。
と評価。

また、別の選手のエピソードをこう紹介する。

'03年春。3月にUAEで開幕予定だったワールドユースがイラク情勢の緊迫化により延期となったことで、U-20代表は当初の登録メンバーに新たな選手を加え、リスタートしていた。新加入の選手とはつまり、大会延期により、再びチャンスが巡ってきた選手たちである。彼らはきっと、幸運な巡り合わせを喜んでいるはず。私はそう考えていた。
ところがひとり、無邪気に喜びを口にするのではなく、ひとつ前置きをしてから、自分の思いを話し始める選手がいたのである。それが、長谷部誠選手だった。
「延期の理由が理由なので、単純に喜んでいいのかどうか分かりませんが……」
そして、
正直、驚いた。19歳の、プロになりたてで血気盛んな少年が、キチンと周囲に配慮し、言葉を選んで話したことに。
とまとめる。

いいなぁ、こういうことをキチンと紹介してくれるライターは。

まとめとして、

真のプロたるもの、子供たちに夢を与える存在でなければならない。理想の姿として、しばしばそんなことが言われる。それは何もピッチ上だけに限らない。しっかりとした社会性を持ち、自分の言葉で気持ちを伝えることも、プロとしての務めではないだろうか。
と。

こういう風に、ピックアップすべき事実をきちんと紹介した
上で、それをベースとして、ライター自身の主張を、読者
に伝えるのであれば、良いですね。

    ∩
    ( ⌒)     ∩_ _
   /,. ノ      i .,,E)
  ./ /"      / /"
  ./ / _、_   / ノ'
 / / ,_ノ` )/ / 浅田さん!
(       /  GOOD JOB_!
 ヽ     |
  \    \

<本エントリーのTB先>
佐藤選手のベスト11のコメントを、きちんと紹介して
賞賛されていたみなさま。
瀬戸智子の枕草子さん
今日の○○○さん
MIKI'S,FOOTBALL-BLOGさん
SANFRECCE Kids サポーター Blogさん
主婦の秘め事さん
桜の徒然日記さん
トリコロールの勇者達blog さん


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2006/02/02

佐藤可士和から繋がって、アルマーニとニーマイヤーの言葉もご紹介

佐藤可士和さんに関するエントリーを書いた、その勢いで、
最近気になった言葉をご紹介します。
ニューズウィーク先週号は、創刊20周年特別企画として
過去のインタビューの再録でした。

その中で、まずファッションデザイン界の巨匠、
ジョルジオ・アルマーニ

インタビュアー)今の若手デザイナーに言いたいことは?
アルマーニ)デザイナーの仕事はサービスを提供することであり、今まで誰もやっていないことをやってみせることじゃない。誰もやっていないとしたら、やる必要がなかったからだ。そんなものを作っても、デザイナーの自己顕示欲を満足させるだけで、役には立たない。 デザインは生活のためのものだ。この点だけは絶対に譲るつもりはない。

続いては、国連本部ビル、そして永遠の未来都市ブラジリア
を設計したブラジル人建築家、
オスカー・ニーマイヤー

インタビュアー)建築に「美」を求める気持ちと、クライアントの要求の折り合いをどうつけるのか。
ニーマイヤー)クライアントなんかかまうものか。美とフォルムが私の目標。建築は創造なんだ。

なかなか対照的な言葉ですね。
普通であれば、クライアントがいなければ仕事ができない
建築家の方が、クライアントに配慮して、
自分で自分のブランドをコントロールできるファッション・
デザイナーの方が、自分の好きにデザインする、
というイメージなのですが、
一方で、ファッションデザイナーは、グローバルブランドで
あっても、マス商売=ビジネスという部分を強く意識せざ
るを得ないので、アルマーニのような言葉になるのかな。


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2006/01/23

ALSを発病しながら、訪問介護・看護サービス会社を立ち上げた凄い人

昨日、日本テレビ/讀賣テレビ系列に残った数少ない
報道ドキュメンタリー番組「NNN ドキュメンタリー'06」を見た。

1月22日(日) 25:55~26:25
「前を向いて そして… ある難病患者と家族の日々」

今回は、難病ALS(筋委縮性側索硬化症)を発病した
藤本栄さん(45)とその家族のお話。

ALSとは、筋肉を動かす命令を伝達する“運動神経神経が
冒されることで、筋肉が萎縮していく進行性の神経難病
です。

ドラマ「1リットルの涙」で有名になった脊髄小脳変性症
とは、冒される神経部位が違うようですが、症状としては
同じように、手や足をはじめ体の自由がきかなくなり、歩く
こと立つこともできなくなる。さらに次第に話すことも食べる
こともできなくなり、呼吸することさえも困難になってきます。
ですが、他の神経部位は冒されていないので、思考能力、
知性、感覚/触覚、味覚、嗅覚、聴覚、視覚、目の動き、
自律筋の心臓、便通、膀胱、性的機能といったものは影響
を受けないそうです。
病気の進行は当然個人差がありますが、発病して3~5年
で寝たきりになり、人工呼吸器を装着しなければ呼吸が
できなくなります。

アメリカではメジャーリーグのスーパースター、
ルー・ゲーリックがこの病気になったことから“ゲーリック病”
とも呼ばれているそうです。
また、イギリスの有名な宇宙物理学者ホーキング博士
30年来の患者です。

脊髄小脳変性症と同様、残念ながら、原因も治療法も
わかっていません。
一般に40~60歳で発病し、患者は全国で5000人ほど
いると言われています。


トヨタ系列のディーラーで、なかなか優秀な自動車営業
マンだった藤本さんは、37歳で独立してソニー生命の
保険代理店を営み始めました。
しかし、その直後に、当時小学校3年生だったご長男を
相手にサッカーをやっていた時に、突然思う方向にボール
が蹴れなくなった。やがて、足を引きずるようになった藤本
さんが病院で検査を受け、ALSの一種である“運動ニュー
ロン病”という診断が下されました。
そして、しだいに、足だけではなく全身に力が入らなくなり、
入浴や排せつの介護が必要となっていきました。

自力呼吸が困難になった時には、藤本さんは、これ以上、
家族に介護の苦労をかけないためにも、人工呼吸器の装
着に関して、少し躊躇したそうです。
しかし、家族からの生きて欲しいという願いと自らの生き
たいという気持ちで、人工呼吸器をつけ、より前向きに
生きるようになりました。

そして、発声もできず、動かせるのは顔の筋肉だけである
ために、透明の板に平仮名が書かれた”文字盤”を、視線
の動きだけでたどっていくことが、唯一のコミュニケーション
の手段として、前向きに家族や社会と関わっていきます。
もともと明るい性格で、しょうもないギャグを連発していた
らしい藤本さんは、こんな状況の中でも、ユーモアたっぷり
に、文字盤を使って家族とのコミュニケーションをとります。
さらに、日本ALS協会愛知支部長に就任し、患者の
家族らと情報交換をし、ALS患者の支援活動に取り組ん
だり
、「1リットルの涙」の木藤亜也さんの主治医であった
山本纊子先生も勤めている藤田保健衛生大学看護学校での
講義を始めたりしています。

番組の中で引用された藤本さんの言葉として
「昔、忙しくて見えなかった世界を、今動けなくなったことで
 わたしに見せてくれる。ALSはまんざらでもないです」。
これだけの難病の方が、こういったことを言えるってのは、
ほんとに凄い。
「(脊髄小脳変性症という)病気になったのは、不幸じゃ
 ないです。不便なだけ」と言った明日美ちゃんと同様。

そして、なにより凄いのが、寝たきりで介護を受ける側の
自分の経験を生かし、訪問介護・看護のサービスを
提供する会社「アイライフコーポレーション」を立ち上げ

自ら社長となったこと。
ヘルパーさんや、従業員に対しても、朝礼で文字盤を使って
指示を出したり、自らがモニターとなって新人ヘルパーさん
の研修を進めたりと、藤本さんの細やかさとバイタリティーが
サービスに生かされているそうです。


同じ病気の方に勇気を与える言葉をつづり続け、最後は
献体までを申し出て、人の役に立とうとした木藤亜也さんに
池内亜也。
自分の闘病の苦しみを隠しつつ、いっしょに入院し病気と
闘っている子どもたちを明るく励まして回った猿渡瞳ちゃん
それに、今回の藤本さん。
みなさん、すごいですよ、ほんとに。

藤本さんは、昨年の総選挙にも出馬したそうです。

<本エントリーのTB先>
ブログで情報収集!Blog-Headlineの
筋萎縮性側索硬化症(ALS)のエントリにTB

あと、ご自身もALSと闘病しておいでの
ALS、そして、僕の生きる道さんと、
人生いろいろサンの最新エントリーに
TBを差し上げたいと思います。


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2006/01/14

Kの1stアルバムのCFに刺激され、残る池内亜也の言葉「生きるんだ」

Kの1stアルバムのCFに刺激されて、
HDRに録っておいた
ドラマ「1リットルの涙」
またまた見直した。

最終回

賛否も分かれたエンディングでしたが…、

でも、11話、約11時間で描かれた
池内亜也の10年間の最後として、

「…お母さん、笑顔のあなたに、もう一度だけ会いたい…」
shioka01

ikeuchiaya03

ikeuchiaya01

asoharutomono

ikeuchiaya02
「生きるんだ」

この最後の一言こそが、

池内亜也が

10年間の闘病体験の中から

僕たちに伝えたかった、

残したかった言葉。

与えられた命を、

自覚を持って

生きようよ。

与えられた

一日一日を

きちんと意識して

生きるべきなんだ。
 
 
 
ああ、

やっぱり、残るなぁ。

絶対に忘れられないなぁ。

忘れないなぁ。

池内亜也は。

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2006/01/07

『いのちの作文 難病の少女からのメッセージ』、猿渡瞳ちゃんの言葉を聴け

昨年の日本テレビ系列の「24時間テレビ」でも
紹介された、大腿骨骨肉腫で、13歳の短い
命を閉じた福岡県大牟田市の中学生、
猿渡瞳ちゃん。

小学6年生の時、猿渡瞳ちゃんは、右大腿骨と
肺にガンがみつかります。
前向きに懸命な抗がん治療を受ける瞳ちゃん。
念願かなって、肺のガンは消える。
抗がん剤の関係で、白血球が減少し、小学校の
卒業式に出れないと言われた瞳ちゃんは、主治
医の先生に「白血球の数をいくつにしたら、卒業
式にいけるんですか」と強いまなざしで問いかる。
そして、白血球が奇跡的に増加した瞳ちゃんは
念願かなって卒業式に出席することができた。

しかし、右足は、転移の危険性もあり、やはり
切断しなければならないと言われます。
しかし、「右足は私の生きる希望」「右足といっ
しょに生きていきたい」と0.1%の希望に賭けて、
自分の意思で拒否をします。

ですが、やはり、それは無理でした。
苦しい闘病を経て、中学2年生で、瞳ちゃんは
残念ながら帰らぬ人となりました。
しかし、その闘病の過程でも、自分の苦しみを
隠しつつ、いっしょに入院し病気と闘っている
子どもたちを、明るく励まして回ったそうです。

そして、彼女は、亡くなる2ヶ月前に、弁論大会
用として、闘病の体験を書いた「命を見つめて」
という、ほんとうに力強く、まっすぐな作文という
言葉を残しました。

その全文は、こちらの西日本新聞の記事
紹介されているので、ご覧ください。


木藤亜也さん、池内亜也、さらには
宮越由貴奈ちゃんだけではなく、瞳ちゃんに
対して、恥ずかしい人生だけは送るまい。
客観的な条件としては恵まれている部類に
あてはまるであろう私は、背筋が改めて
伸びる思いがします。

↓最近発行された小学生向けの本。

でも、大人が読んでも、その内容は十分に
心にしみます。

写真で見る彼女のまっすぐな瞳、屈託のない
笑顔が、これまた読む者の心に響く。

↓こちらの方は、「命を見つめて」の作文と、
 彼女の残した言葉をまとめたもの。

<本エントリーのTB先>
瞳ちゃんの作文を紹介されておいでの
ヒューマン ストリート by FM福岡さん
福岡発アジア映画行きサン

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